古地図のたのしみ

20161011

はじめに

古地図を眺めるのが好きです。

江戸時代の古地図を片手に都内を散策する人も多いですが、僕が好きなのは昭和30年代の東京の古地図。

都内の多くでは、このころを境に住居表示が施行されたため、かつての地名の多くが失われてしまったのですが、昭和30年代の地図を眺めると、古くからの由緒ある地名を知ることができます。

とくに眺めて楽しいのが港区、新宿区といった都心部の古地図。

風情ある地名がたくさんあります。

その多くは住居表示の施行で失われてしまったのですが、奇跡的に今でもそのよすがを残しているものがあります。

今回はそのいくつかを紹介しましょう。

谷町、高樹町

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首都高を走ったことのある方は、谷町ジャンクションという名称をご存じでしょう。

3号渋谷線と都心環状線が接続するジャンクションの名称ですが、この「谷町」の名称は、住居表示施行前のこの地域の地名、麻布谷町に由来します。

このあたりは、現在は六本木1丁目、2丁目という、何の味けもない名称になってしまいました。

麻布谷町界隈は古くからの町屋でしたが、太平洋戦争後に六本木通りが拡幅され、東京オリンピックを契機に道路上に首都高速が建設されたため、東西が完全に分断されてしまいました。

1980年代には、森ビル主体の再開発により、アークヒルズが建設されたことにより、麻布谷町の六本木1丁目側地区は消滅してしまいました。一方で、六本木通りを挟んで反対側の六本木2丁目地区は、表通りこそオフィスビルが並びますが、1本裏道に入ると久国神社を中心とした古い町並みがいまなお残っています。

 

渋谷から六本木通りを東に向けて走っていくと、「高樹町」の名の首都高入口があります。現在の南青山と西麻布の境目当たりの地域ですが、このあたりは、かつては赤坂青山高樹町の名で呼ばれていました。

現在はブティックやオフィスビル、高級マンションなどが立ち並ぶこの一角。かつては屋敷町だったようです。

高樹町の名は、昭和40年の住居表示施行によって消滅しましたが、昭和42年に供用を開始した首都高速入口にその名が採用され、現在まで広く知られています。

 

角筈

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角筈というどこか郷愁を誘う地名。現在の西新宿一帯、都庁があるあたりは、かつて角筈と呼ばれていました。

昭和45年の住居表示施行で消滅してしまいましたが、この地名も根強く、地域センター(角筈地域センター)や区民ホール(角筈区民ホール)の名に痕跡を残しています。

驚いたのは、先日都営バスに乗ったときのこと。甲州街道は西新宿に差し掛かったところ、車内アナウンスから「角筈2丁目」の声が流れてくるではありませんか。

甲州街道沿いのヤマダ電機があるあたりです。

角筈の地名が失われて40年以上がたちますが、停留所の名前として今も生きているんですね。

 

おわりに

住居表示という愚行によって、数多くの由緒ある地名が失われてしまったことは嘆かわしいことです。

しかし、形を変えて今なお生き残るかつての地名もあります。

古くからの歴史を背負った地名の数々。せめて今残る地名だけでも大切にしたいですね。

 

今日はこんなところで。

それではまた。


東京・世田谷区の藤村総合会計事務所

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ABOUTこの記事をかいた人

東京都世田谷区で開業している公認会計士・税理士です。大手監査法人、M&Aコンサル、税理士法人を経て2016年9月に独立開業しました。妻と息子の3人暮らし。海外サッカーと囲碁が大好き。英語、数学を勉強中。 ブログでは、税務・会計の話題や仕事術、日々の出来事などを気ままに綴ります。